伊周 紹介SS
『老紳士と甘美な風景』

秋田みやび

 北御門家には、十二天将という式神たちがいるらしい。
 まだ全部は揃っていないらしいし、眠ったり、様々な事情で外に出ている式神もいるらしいので、嫁入りした北御門芹もまだ全員とは顔合わせをしていない。
 とはいえ、本邸で稼働中の式神たちとは挨拶をすませている。
 本邸の手入れを主な役目としている大陰の銘を持つ律と、式神たちをまとめ上げているという貴人の銘を持つ伊周。
 この二人は式神の中でも古株なのだが、あまり家族が住まう離れの方には顔を出さない。
 しかし、貴人・伊周は意外と好奇心が旺盛なほうであるらしい。
 今も、ダンディな白い美髯を蓄えたタキシード姿の老紳士は、白手袋の手で芹がうっかりと取り落としたスマートフォンを拾い上げて、渡してくれるのかと思いきや、しげしげと物珍しげに眺めている。
「えーと、伊周さん?」
「ああ、失礼いたしました。芹殿。皇臥殿とはまた違う形の、すまほ、なのだと思いましてな」
 我に返った伊周は、丁寧な仕草でスマホの画面を胸に入れていたハンカチで拭い、芹へと手渡してくれる。
「あ。うん。伊周さんもしかして、スマホに興味ある?」
「そうでございますな。電気設備の悪い本邸には、あまり電化製品を置けない事情もありまして、こういったガジェット類には疎うございますゆえ。皇臥殿がパソコンを使う様子を、後ろからこっそりと覗くのが精々と言ったところ」
 にこやかに笑いながら、伊周は背筋を伸ばした。ふと気づいたように一本指を立て。
「あ、しかし。老骨とはいえまったくの無知とは思わないでくだされよ。離れの建設前に本邸に導入されたオーブン電子レンジの扱いなどは、史緒佳殿よりも巧みであったと断言いたしましょう。史緒佳殿のプライドを傷つけぬよう、披露はできませなんだが」
 茶目っ気たっぷりに、片目を瞑る。
「そうなんだ。……で。その電子レンジで、何を作ってたの? ていうか、つまみ食い?」
 老式神の表情に、ついつい興が乗ってしまった芹が言葉尻を捉えて追及してみる。
「……簡単なガトーショコラとファーブルトンを少々」
「意外とハイカラだった!」
 実は芹はお菓子作りは少々苦手だ。
 対して、伊周は自分からは嗜好品をねだりに来ないが実は甘党なのだと皇臥から聞いてはいたが、改めて聞くと破壊力がある。
「ね。今度、スマホの機種変更する時には、そのお下がりのスマホを伊周さんにあげるから……簡単なお菓子の作り方教えてもらえないかな? 本邸まではギリギリwi-fiが飛んでるから、通話はできなくても写真は撮れるし、簡単なアプリのゲームくらいはできると思う」
 芹はこそりと上目使いに伊周を見上げて、両手を合わせた。お菓子を趣味で作るという環境にいなかったこともあるが、化学実験じみた細かく分量を量るという作業がどうにも身につかないのだ。
 すげなく断られても仕方のない交換条件かとは思ったが、老紳士の視線は芹が受け取ったままのスマホに吸い寄せられている。
 ……意外と食いついている。
 こほん、と一つ咳ばらいをした古参式神は威厳を失わない佇まいを取り繕い、重々しく頷いた。
「よろしいでしょう。いつでも、お声掛けくださいませ」
 一礼して去っていく伊周の背中を見送りながら、よし、と密かに芹は心で親指を立てた。
「……ふむ。ゲーム。……あぷりの、ゲームですか……」
「こ、伊周さん……?」
 背中から洩れる呟きから、なにやら老紳士の新たな扉を開いてしまったような予感もしたが、それは見なかったことにして、芹はこれから先新たに増えるだろう甘美なおやつのバリエーションへと、心を馳せることにした。