祈里 紹介SS
『式神たちと夕食の風景』

秋田みやび

 紅い、感情のない瞳がじっと見つめてくる。
 普段はやや無表情がちの幼女が、珍しくどこか物言いたげだった。
 その、透明な紅い双眸に映るのは小さな木の匙だ。
 もっと焦点を合わせるならば、その先端ですくいあげられてぷるぷると頼りなく震えている、薄黄色の蒸し物である。
 つまり、茶碗蒸しだ。
「…………」
 北御門家の夕食時。献立は油揚げと水菜の煮びたし、茶わん蒸し。そしてブリの照り焼きに各種浅漬け。それと共に白飯がほかほかと湯気を立てている。
 長く白い髪に白い振袖の5歳か6歳ほどの小さな幼女の式神・祈里は、ちんまりと膝に手を置いて俺──北御門皇臥を見上げていた。
 何かを言いたそうだが、口にはしない。
 ただじっと、紅い瞳で見上げてくるだけだ。
 ダイニングテーブルの反対側では、仮とはいえ妻の芹が白黒反転したような黒髪に黒振袖の幼女に、同じ姿勢をとられている。
「せりさま、ほうれんそうください。みつばでもいいです」
 ただし、その要求はきっぱりしている。わかりやすい。
「もー。しょうがないなあ、一口だけだよ?」
「あい」
 芹も、さして嫌そうでもない口調でそう言いながら、茶碗蒸しの中の野菜をそっと匙ですくい上げ、ふーふーしてから口を開けて待っている護里の口へと運んでやる。
 ちょっと羨ましいが、内緒だ。
「おいしー、です」
 茶碗蒸しをせしめて、うまうまと嬉しそうに相好を崩している護里はおねだり上手だ。頬に手を当て幸せそうに茶碗蒸しのお裾分けを味わっている。
 それに比べて、同じ対の式神でも祈里は不器用だ。あんな素直なおねだりはできない。困ったように、俺を見上げているだけだ。
「…………」
 しかし、玉子は祈里の好物だ。その中でも、芹の作る茶碗蒸しがことのほかお気に入りであると俺は知っている。
 無言でいても、茶碗蒸しを分けてくれないと悟ったか、祈里は少し目を伏せて、迷うような表情を浮かべた。
 さて。
 コミュニケーションが不得手な祈里は、自分の欲求を口にすることがやや苦手だ。まあ、それは大部分が俺のせいでもあるのだが。
 なので、練習のためにも少し待つ。茶碗蒸しの一口くらい分けてやることなど、本来なら何でもないのだが……。
 祈里が、そろりと俺の膝のあたりに小さな人差し指を触れさせてきた。
 そのまま指をそーっと動かす。
「何だ? 祈里」
 祈里は、ちょこっと動かして指を離し。俺を上目遣いに確かめるように見上げた。
 首を傾げて、もう一度同じ形に指を動かしている。
 もしかして……。
「く?」
 そう確認するように口にすると、祈里がほんのりと嬉しそうに微笑んだ。そしてもう一度膝に指を滑らせた。
 たどたどしく指がひらがなを綴る。
 小さな細い指が最後に、濁点を打つためにとんとんと二回膝をつついた。
 推定「だ」だ。
 さらに確認するように俺を見上げて、再び指を動かす。三つ目の文字。そう、文字だ。
 こいつ……字が書けるのか! 基本、他人に見えず声も聞こえない式神なので、文字でのコミュニケーションは必要ない。書物に興味を示す式神はごくわずかなので、祈里と護里にはそういった教育は施していなかったはずなのに。
 野良式神をやっている間に、自力で学習したのか?
 そのことに驚いているうちに、祈里の指は四つ目の文字を書ききった。

 く だ さ い

 書き終わって、祈里は確認するように大きな紅い瞳でじっと上目遣いに見上げてくる。
 くそ。
 本来なら望みを口に出させる練習だったはずなんだが……これは、褒美だ。思わぬ成長を遂げている式神を褒めてやらなければ道理に合わない。
「ほれ、口開けろ。こぼすなよ」
「あい」
 祈里は口に運ばれる茶碗蒸しに、嬉しそうな笑みを浮かべた。その様子をテーブルの向かい側で見ていた芹が気付いた。
「あ。そか。祈里ちゃん、玉子好きだもんね、わたしの茶碗蒸しも食べる?」
 祈里へと差し出される茶碗蒸しの匙を見て、祈里は意外にもふるふると首を横に振った。
「いらない、です」
「えっ? なんで?」
 好物を断られると思わなかったのだろう。芹はいささか愕然とした表情を浮かべた。護里も祈里も基本芹にべったりなのだから。
 祈里は、芹の反応をよそに俺の膝をもう一度、とんとんと叩いてもう一口催促している。その様子を見ながら、芹は唇を尖らせて拗ねたようにぼやく。
「……もー。やっぱり、本当の主人である皇臥のほうがいいのかなあ」
 しかし、俺は知っている。
 護里は芹から美味しいものを分けてもらう。
 だが、祈里は《芹から美味しいものを奪う気はない》だけなのだ。
 ……俺から奪うのはいいのか、という気もするのだが。それを芹に教える気は今のところ、ない。

 ま。たまには、ヤキモチのひとつも焼いてもらおうじゃないか。