史緒佳 紹介SS
『風邪の日の風景』

秋田みやび

 北御門芹は、やや風邪気味だった。
 とはいえ、盛大に熱が出ているわけではない。いいところ微熱。少し喉がガラガラして、動くのが億劫なくらいだ。
 年末に風邪を引いた、契約夫である北御門皇臥の風邪が伝染ったのかもしれない。
 けほけほと小さく咳きこんでいると、姑の北御門史緒佳にとっとと寝ろと、自室として与えられている二階の部屋に押し込まれてしまった。
 芹は基本健康優良児で、病気知らずだ。正直、落ち着かない。
 とりあえず、布団に横になってぼんやりと天井を見上げているだけだ。少しでも熱を冷ましてくれようとしているのか、額に黒い亀が乗っかっている。
「芹、具合はどうだ?」
 とんとんと軽く扉を叩く音がして、薄く開いた隙間から皇臥が窺うように覗きこんでいる。
「あ、もう平気。割と元気。ご飯の用意しないとだけど……」
「大丈夫だ。母さんから伝言でな『病原菌が台所に立つやなんて、バイオハザードでも起こす気ですか。許可できまへんな』だそうだ」
「……今日はお義母さんがご飯作ってくれるから、寝てろってことだね」
「北御門家の嫁いびり言語を、即座にそう翻訳してくれる嫁がありがたいよ」
 そう言いながら遠慮がちに部屋に入ってきた皇臥の手には、小さめのお盆が支えられている。ふわっと出汁の香りが広がった。見ると一人用の土鍋が乗せられている。鮭と卵と葱の雑炊だ。マグカップに入った生姜湯も添えられている。
「夕食だ。母曰く『病人は昼の残りもんでも一人で食べなはれ。食卓になんぞ出てきなはんな』だそうだ」
「へー。お昼に、ご飯は冷凍も含めて全部食べちゃったはずなんだけどねえ」
 夫婦顔を見合わせて、にやりと笑いあう。雑炊をいただくために芹が布団から半分体を起こすと、額に乗っかっていた亀がころりと布団に転がり落ちた。
 多分使われている紅鮭は朝食用に買っておいたものだ、となると明日の朝御飯のメインはどうするか……雑炊をレンゲで取り分けながら、芹はぼんやりとそんなことを考える。
「……寝てるほどの重症じゃないんだけど、こうやって気を遣ってもらえるのは何か嬉しいね」
「誤解しなはんな! 辛気臭い病んだ顔なんぞ見とうないだけですわ!」
 不意に扉の向こうから声が上がって、芹と皇臥が夫婦そろって半ば硬直する。姑の史緒佳だ。それと同時に、ゴーゴーと掃除機が唸り始める音がする。廊下で掃除機をかけているらしい。ごっつごっつと壁に掃除機が当たる音がしている。
 皇臥が声を低めて囁いた。
「……これは、アレか? 夫婦の時間を邪魔してる系の嫁いびりか?」
「むしろ、風邪ひいた女の部屋に長居している息子を追い出そうとしてるんじゃないの?」
 そう指摘すると、ちょっと傷ついた顔をされた。
 ゴーゴーと掃除機の稼働音がしばし響き、ややあってから芹の部屋の扉が薄く開いて、史緒佳が顔を覗かせた。なんか、微妙に得意満面だ。
「うるそうおしたか?」
「……えーと。まあ」
 どう答えるのが正解かわからなかったので、曖昧に頷くと。史緒佳は嬉しそうにいそいそと顔をひっこめた。
「珍しく、病人を休ませないという真っ当な嫁いびりだったようだな。あとで注意しておく」
「ううん、いいよ。二階廊下と共用部分は、お義母さんじゃなくてわたしの掃除担当なんだよね。おかげで明日の家事が楽になっちゃったし」
 相変わらず、よくわからない母親の嫁いびり具合に、息子である北御門皇臥は顔を片手で覆った。
「芹さん、雑炊の器は空きましたんか?」
 芹が差し入れられた雑炊を平らげる頃合いを見計らったように、再びノックなく部屋の戸が開き、史緒佳が顔を出す。、
「あ。お義母さん、雑炊美味しかったです。温まりました、ごちそうさ……」
「ほほほ、風邪は冷やすのが大敵ですさかいな。これでも食べて、芯から冷やしなはれ」
 どこか勝ち誇ったような顔で史緒佳が手に携えているのは、小さなガラスの器に入ったアイスクリームだ。
「お残しは許しまへんえー」
 機嫌よく、ガラスの器を残して階下に再び降りていく史緒佳の足音を聞きながら、芹は受け取ったアイスを見て、顎を落としそうになった。
「これ、手作り?」
「さっき、母が本邸の納戸から古いアイスクリームメーカーを発掘してきてな」
 皇臥は、母親がアイスを作っているところを見ていたらしい。微妙な表情をしている。
 雑炊と生姜湯でほかほかと火照る身体には、ちょうど嬉しい。量も二口か三口なので、冷えようがないだろう。
「……俺が寝込んだ時には、アイスなんか出てこなかったよなあ……」
 実の息子は遠い目をしてぼやく。嫁はその呟きを聞かなかったふりをして、アイスを口へと一口運んだ。
 北御門史緒佳は、今日も精一杯に気に食わない嫁をいびっている。
 本人なりにがんばっている。

 手作りらしく、あっさりとした甘さとしゃくりとした食感のアイスクリームは、熱っぽい口の中に染み透るようで。身体を冷やすよりも、ぽかぽかと気持ちを温めてくれるようだった。